コロナ禍で旅行にはなかなか行けない今日このごろ。。。
旅行には行けないまでも、密を避けて自転車で走るくらいは許してほしい!
二子玉川集合。
羽田に向かってひとっ走り。
戻って羽村の神社まで。
全行程で150km弱を計画。
計画
今年はコロナでゴールデンウィークの旅行は計画できませんでした。
とはいえ、EBS様とは「どこか走りに行きたいねぇ」なんてな話をしてまして。
東京湾1周も話題にはあがったのですが、結局近場の多摩サイ往復に落ち着きました。
計画から実行までの時間がなかったこともあり、まぁまぁ、そんなもんでしょう。
TRECK様にもお声がけ賛同いただき、計画は決定。
集合
今回は一応都内の移動なので、集合・解散が楽ちんです。
ただ、残念なことにNUNU様は肩の負傷が長引いており、今回はお留守番。
男どもが走りに行っている間に帰宅後の食事準備をしてもらうことになりました。
AM8:00に二子玉川集合。
EBS様にはAM7:30に、私のアパートにきてもらいます。
そこからひとっ走り二子玉川に下って、TRECK様に合流。

ちなみに、今回TRECK様は新バイク投入!
その名も「クロモリくん」。
Cinelliのパープルフレーム。キラキラしていてとてもきれいです。
(※今回、以降はTRECK様⇒Cinelli様と呼称します。)

出発
NUNU様が朝おにぎりを人数分作ってくれたので、Cinelli様におにぎりを手渡して早速スタート!
下りの方向、多摩川の右岸を走り、一旦羽田方面を目指します。
今回の編成は、私が走りなれているエリアなこともあり、私⇒EBS様⇒Cinelli様の順。
順調にガス橋を渡り、左岸に移動。

川崎エリアの狭いコースから、都内側の広いコースに移ります。
穴守稲荷
橋を渡ってから羽田までの区間。
道が広くて走りやすいのですが、とても風が強い!
かすいち移動日にスタート地点まで走ったときのことが思い出されます。
強い向かい風に抗って穴守稲荷の大鳥居に到着。

出発から約1時間。
意外といいペースで走ったようです。

大鳥居で一服し、穴守稲荷の社殿へ。
穴守稲荷神社(あなもりいなりじんじゃ)は、東京都大田区羽田五丁目2番7号にある稲荷神社である。祭神は豊受姫命。かつては海老取川の東にあり、周囲は羽田穴守町と呼ばれていたが、終戦直後の羽田空港の拡張工事に伴って現在地へ遷座された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』穴守稲荷神社
稲荷大神の「稲荷」とは「稲実る・稲生る」の義であり、「なる」は大自然より与えられた生産活動と希望・発展の意である。故に、商売繁昌・家内安全・心願成就・病気平癒・交通安全・厄除・開運祈祷などに御神徳あらたかで、産業界や芸能界、或いは講社の参拝数多く、伯爵の東久世通禧によって、ねがひごと かならずかなふ 穴守の いなりの神よ いかに尊き
という和歌も詠まれた。また、古くから伝わる羽田節の一節にも羽田ではやる お穴さま 朝参り 晩には 利益授かる
と謡われている。
EBS様はここで御朱印をいただき、その後改めて近所のファミリーマートで補給の飲み物を調達。
NUNU様に託されたおにぎりを一つここで頬張り、再出発。
二子玉川までの帰路は、上り右岸をひたすら走ります。
戻る道程はEBS様が先頭を引き、先ほど通った強風エリアもぐいぐいと引いてもらいました。
年齢的にはおじさんの集まりですが、EBS様、Cinelli様、ともに体力ある人たちでして。。。
二子玉川を通り越してしばらくするまで休憩なし。
サイクルロードから少し外れて住宅街を走る区間があるのですが、そこでようやく休憩。

軽く足を休めて再出発。
この時点では天気も良く、とてもいいサイクリング日和です。
府中八海
府中の手前くらいで、3度目の休憩。

二つ目のおにぎりを食べてしまいます。
おにぎりを食べたばかりではありますが、時計をみればそこそこお昼にいい時間。
11時半くらいにちょうど府中にさしかかるタイミングだったので、私の提案で八海に行ってみることに。
久々の八海ですが、いかんせんこのご時世。
きちんと開くかもわからない状況のなか、とりあえず向かってみることに。
11時半より少し早く店の前に到着。
お店の窓に貼り紙がしてあり、どうやらやっているようだ。

オープンを待って入店。
私は定番の塩ラーメンをいただきました。

ラーメンをいただき、約30分の昼食休憩を過ごして再度川沿いに下って走り出します。
ワイズロード府中玉川店
走り出したといっても直ぐに次の立ち寄り。
ワイズロード府中玉川店。
特に目的があったわけではありませんが、とりあえず立ち寄る。
プラッと一回り店内を眺めて、EBS様、Cinelli様、ともに何も買うものなし。
私は「足が攣らない」と書いてあったMag-onにひかれて、梅味を購入。

短い立ち寄りを経て出発。
府中以降、穴守稲荷までの巡航編成と同じ体制で、私が先頭を引いていたのですが、割と早々に膝に結構深刻なダメージの蓄積を感じる。
玉川サイクルロードの厄介なところは、少し走るとS字に下って、S字に上る繰り返しがあることだと思っています。
直線の平坦でずっと走れればよいのだが、いちいちS字が挟まることで、つまらない減速を強いられる。
この地味な「減速と加速」「下りと上り」が、意外と足にダメージを蓄積させます。
私が貧脚、虚弱なだけという話ではあるのだが・・・
実際、ビワイチもカスイチも平気な顔して走っていたEBS様が膝の痛みを訴えていたので、私だけではなかったことに救いを感じるw
いずれにせよ、途中Mag-onを購入しておいたのは正解だった。
立川のあたりで少し大きい道路にそれなければなりません。
新奥玉街道、道は広いのですが、車は結構飛ばします。
膝が痛くて普段のパフォーマンスが発揮できないところで、少々怖いと感じましたが、オーケーを目印に左に曲がり、サイクルロードに戻ります。

玉川兄弟
サイクルロードに戻ったところで、あとは道なりに何も考えずに進むだけ。
と、思っていたのですが、神社までもう少しのところで行き止まる。
公園のドンツキで、そこから進めない。。。
何やら像があるぞう。って、ことでとりあえず写真に収める。

※後ほど「玉川兄弟」調べました。
玉川兄弟(たまがわきょうだい)は、江戸時代の人物。兄は庄右衛門(しょうえもん、元和8年(1622年)? – 元禄8年6月6日(1695年7月16日))、弟は清右衛門(せいえもん、生年不明 – 元禄9年5月5日(1696年6月4日)?)。多摩川沿いの地域の農家であったとの説が有力である[1]。1653年から54年にかけて玉川上水の開削の指揮をとったことで知られる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』玉川兄弟
ほんの少し逆戻りして、神社までの道に戻る。
神社までほんのわずかですが、川沿いを素直に走ると、ひどい砂利道を走らなければなりません。
軽く雨も降っていたので、木が茂っている川沿いの道をそのまま強行して走ったのですが、この判断が後ほど私を追い詰める。
阿蘇神社
どうにか片道の終着地。阿蘇神社に到着。

サイクルロードの端で構える鳥居には感慨深いものがあります。
ひとまずお参りを済ませ、お守りを購入。

自転車の走行安全お守りです。

そして、ここでは私も御朱印をいただきました。

サイクルロードの両端の神社の御朱印が揃ったことになります。
やった!
帰路
目的を果たしたところで、帰路につきます。
走り出す前に、自転車を点検。
ひどい砂利道を走ったこともあり、不具合ないか一旦確認をします。
そして。。。
あった!
後輪のタイヤが裂けて、チューブが少し顔をのぞかせています。

パンク修理の道具は一応もってはいたのですが、チューブの裂傷ではなく、タイヤそのものが裂けてしまっているので「処置が違う」と感じ、ひとまず近くのコンビニを探します。
ビニールテープがあれば、くるっと補強をしてとりあえず走ることを優先しようという考えです。
タイヤ交換するにしてもどうせならクラウンサイクルに持っていきたい。
ってなわけで、最寄りのセブンイレブンに立ち寄る。
が、しかし、なんと、ビニールテープがありません。
次の候補としてガムテープを考えましたが、紙のガムテープもあったものの、布ガムテープはない。
やむを得ず養生テープを購入。
パンク補修用のパッチを当て、養生テープをくるっと巻いて応急処置しました。

この処置でネックとなるのは、ブレーキがかけられません。
ブレーキキャリパーがテープにひっかかり、突然タイヤがロックするような形になってしまいます。
そんなわけで、帰路は私は後輪ブレーキなし。
しかも養生テープなので、表面の摩擦がなく、養生テープの面が接地する度に滑るという、非常に危険な状態。
Cinelli様とEBS様には先行してもらい、私は最後尾をゆっくりと戻ることとさせていただきました。
(途中バーストしたら府中のワイズロードで直すかなぁ。。。なんて思いながら)
結果的には帰宅までバーストすることなく走りきることはできたのですが、まぁ~怖かった。
帰宅
兎にも角にも、とりあえず帰宅することができましたので、NUNU様が用意してくれていた食事で、サイクリングの締め。
珍道中を肴においしい食事をいただきました。
Result
Dist 132.45㎞
Max 43.2㎞/h
Ave 16.8㎞/h

