明石キャッスルホテルから出発して、福良のホテルアンドリゾーツ南淡路まで。
初日の移動記録。
スタート
ホテルロビー集合AM8:00。
荷物をホテルのフロントに預け、荷物の引き換え札を預かる。
ルームキーを返却して、一旦チェックアウト。
天気は晴れ。
梅雨明けの宣言もまだ発せられていないところで、幸運な晴れ間でした。
ホテル前で集合写真を撮って、早速フェリー乗り場へ向けて出発。
淡路ジェノバライン 明石営業所
フェリーで淡路島へ渡るため、ジェノバライン明石乗り場へ向かいます。
ホテルからジェノバライン明石乗り場までは、自転車で5分程度。

平日の8時過ぎで、丁度良い時間だったのだと思います。
このタイミングでは自転車を持って並んでいる人もなく、ご案内の方にチケット販売機を教えてもらい、先頭で並ぶ。

船に乗り込む頃には何人か自転車を持っている人や、若い人(学生?)もチラホラ。
とはいえ、出張(?)のような雰囲気のサラリーマンの姿はなく、町の足といった感じです。
まりん・あわじ
出発、定刻前に淡路島から戻ってきたのでしょうか。
色々描いてあってきれいな船が着港。

自転車を固定してもらい客室へ。

淡路ジェノバライン 岩屋営業所 淡路島上陸
岩屋港に上陸し、いよいよ淡路島。

巡行体制は、トレック様・NUNU様・私。
アワイチ初日 スタートです。
岩屋の発着所から出発し、すぐに左に向かうはずがなぜか右に進むトレック様。
すぐに気づいて戻るのですが、岩屋の出発は信号一つ待ってからとなりました。
改めて、岩屋港前からアワイチスタートです。
海沿いにしばらく走り、セブンイレブンを見つけてボトルを準備。
(出発前に準備しない私たち。最初からコンビニをあてにしています。)

ボトルを確保した後はしばらく順調に走ります。
最初の目的地は賀茂神社。
八咫烏の御朱印がもらえる神社です。
補給で立ち寄ったセブンイレブンからは約19km。
賀茂神社到着
賀茂神社について
賀茂神社 賀茂神社について
創立からの歴史
創立時期は記録が残っていないので明らかでありませんが、京都の上賀茂神社社記に、29代欽明天皇の御代の西暦538年に賀茂神田(荘園)を60余国に置いたとの記録があります。淡路国佐野生穂庄がその一所で、従って約1500年前から生穂・佐野地域の氏神として祀られてきたと推断されます。
~中略~
安政4年(西暦1858年)の阿波藩主蜂須賀斎昌公所領巡回の折り、当社由縁を調べられ、「これまでは四社明神と称してきたが、以後賀茂神社と唱え国内繁栄の大社とする」と沙汰されました。のちに蜂須賀茂韶侯から「賀茂神社」の染筆掛字を賜っています。
明治から昭和20年までは津名郡郷社でした。現在は宗教法人賀茂神社であり、生穂佐野地域の氏神です。

ここまで非常に順調に走ってきた私たち。
しかし、ここで事件が起きます。
御朱印を目的にここまで来たのですが、なんと神職さん(?)神主さん(?)不在。
お参りして、社務所の呼び出しをするも、返事がない。
「しばらく待ってれば、お戻りになるかな?」
なんてなことで、木陰で休憩し、神職さんのお戻りを待つ。
非常に暑かったのはたしかなのですが・・・なにやらトレック様の様子がおかしい。
「鼻血がでました。」
「!?」
どうやらのぼせてしまったようです。
しばらく、神職さんを待つつもりではありましたので、急ぐものでもありません。
トレック様の鼻血が止まるのを待ちつつ、一応神社に電話を入れる。
そうこうしている間に、神職さんもお戻りになっていたようで、すんなり電話がつながる。
社務所に再度うかがい、無事御朱印をいただきました。

とはいうものの、トレック様の鼻血は相変わらず止まりません。
「もはやリタイアか!?」頭をよぎります。
なにせ、流血しているため移動もできず、とにかく休憩するしかありません。
小一時間休憩し、なんとかトレック様も持ち直し再出発。
淡路島グランアイガ
次の目的地は淡路島グランアイガです。
ここは「AWAJI」の大きなオブジェのあるいわゆる映えスポットです。
トレック様も回復したところで短い距離を巡行。
岩戸川を渡る橋の手前、うっかりすると通り過ぎるのでちょっと注意が必要です。
看板は「シーアイガ」と書いてある看板を頼りにすると良いでしょう。

写真撮影は一応そこでいた方に声をかけたのですが「皆さん勝手に撮っていきますよ?」くらいの感じ。
ホントに天気も良く、いい写真が撮れました。
ところが・・・
ここで再びトレック様の調子がおかしい。
時間も丁度良かったので、橋を渡ってすぐのさとでお昼をとることに。
冷房の効いたところで、ここでも1時間程度しっかりと休憩。
当日② 午後編 に続く。
~事後 総括~